ハルカミライの最後の曲「エース」で ただライブを見ながら揉みくちゃにされていたヤツを急に「行ってこい!」とリフトして送り出してしまったのは、フロアの酸素が極限まで薄く、色々な感覚が麻痺してしまっていたからなのかもしれない。そいつは「うぇ!?うぉー!!!」と言いながら意気揚々と泳いで行ったが
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朝7時のアラーム、1分おきのスヌーズを3回ほど繰り返してからようやくベッドから立ち上がった。朦朧としていた。如何せん5時間くらいしか寝ていなかったのだ。
REDLINE-Day1を見るために友達と幕張まで向かった。
「エイジがトップバッターか〜」と愚痴を零しながら着いたのも束の間、フロアの熱気に包まれ直ぐに身体はヒートアップ、気づいたら人の上を流れていた。
エイジが終わり、なんとなくでRIOTステージを見に行った。RIOTステージのトップバッターはThe Forever Young。いわゆる「名前は知ってるバンド」だった。先に言っておくと、今日の感動ナンバーワンはこのエバヤン。
エバヤンが始まった。結論から言うと、最後の曲が終わる瞬間、気づけば涙していた。拳を握りしめていたのは喰らったからだ。
1曲も知らないエバヤンは俺と友達を虜にしていた。ステージパフォーマンス、MC、歌詞。ここまで初見のバンドで喰らったのはいつ以来だろう。ちなみに帰り道はそいつとエバヤンを爆音で流しながら四号線を爆走して帰ってきた。
今まで映像作品や生のライブで涙したことは1回しか無かった。小学生の時に観た「河童のクゥと夏休み」。
そんな おそらく感受性に欠けている俺が 生の、しかも知らないバンドで涙を流すなんて自分でもびっくりだった。本当にかっこよかった。
RIOTステージの次のバンドはBacho。これまたよく知らないバンドだった。曲の語り、心地いい三拍子、圧巻だった。半分以上口を開けて見ていた気がする。ステージパフォーマンス、オーディエンスの熱気。以前、KOTORIの前ドラマーのチヒロさんがXで「やばいライブを見ていると血が早くなる。今日のBachoはそんなライブだった」という呟きをしていたのを思い出す。俺の血は早かったと思う。
「予習してくればよかった」と心から思った。休みの日にCDを買いに行こう。
KOTORIは今日もKOTORIだった。いつもに増して気合いの入っている彼らだったが、RIOTというステージがKOTORIを特別にしていた。極端な話、REDLINE自体の雰囲気もKOTORIが変えた気がする。「REDLINEのテーマからやります」と言って「RED」から始めたセットリストは新旧織り交ぜ、攻めに攻めていた。Zeppのように柵がないから将棋倒しになって行く人々だったが、フロアの温かさがそれをリカバリーしていた。KOTORIに限らず、RIOTステージはまさに演者とオーディエンスで作り上げていた。最後の「遠き山に日は落ちて」まで熱狂だった。伝説を目にした。
RIOTステージのトリはハルカミライ。
序盤からギア全開、フロアが熱を帯びるのに時間は数秒もかからなかった。学が「RIOTってどういう意味か知ってる?暴動って意味らしい。暴れようぜ!」とフロアを掻き立てる。普段荒々しい言葉でフロアを煽るイメージは無かったから新鮮だった。いつかのロッテ-巨人戦でサヨナラホームランを打った亀井義行に“野球の神様”が舞い降りていたとするなら、今日のハルカミライには“RIOTステージの神様”が降臨していたんだと思う。休み無しに荒ぶるフロアは熱が治まることを知らないようだった。酸素は極限まで薄くなり、手を取り助け合うオーディエンスを観ていると心が熱くなった。歌詞通り「12月7日午後7時過ぎ」に「21世紀」を披露した。涙が出そうだった。目頭を熱くする季節とはまさにこの日だったのかもしれない。「エース」で俺が勝手に飛ばしたあいつは無事だっただろうか。
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他にも様々なアーティストを観てこの日は終わった。なんでRIOTステージに拘ってこのブログを書いたのかは自分でも分からない。ただ、RIOTには 何か があった。それが何なのかは俺にも分からない。敢無くREDLINE-Day2は参戦できないが、REDLINE15年の歴史を体で、肌で感じた気がする。
ロックは死んでいない。のうのうと生きていても世間は俺を待ってはくれない。そんな俺のことをライブハウスは、フェスは待ってくれている。嫌なことがあったら、我慢できないことがあったらこれからもライブに行こう。
ありがとうREDLINE。